アンコールワット見物(本編その1)
アンコールワットは、インドネシアのジャワ島のボロブドール、ミャンマーのバガンとともに世界三大仏教遺跡の一つとされています。
ところがアンコールワットは、元々はヒンズー教の寺院として建立されました。
9世紀(日本では平安時代で藤原氏全盛、世界ではイスラム文化全盛)からクメール王朝の中心として栄えたアンコールは、12世紀前半(日本では平安時代、平清盛1118年生、世界では十字軍の第2回遠征1147年)に、スーリヤヴァルマン2世によって、ヒンズー教の寺院として30年を超える歳月を費やして建立されました。
その時代、日本では、平清盛によって日宋貿易が盛んになったそうです。
ネットで日宋貿易の輸出入品を調べたところ、
日本の中国からの輸入品は、主に宋銭(銅銭)、香料、薬品、陶磁器、織物、絵画、書籍など。
日本から中国への輸出品は、金、銀、硫黄、水銀、真珠、工芸品(刀剣、漆器)、木材など。(※硫黄は火薬の原料、水銀は、中国の朱色の原料)
特に、金は奥州(東北地方)の金が、平泉と京都を結ぶルートで運ばれ、宋にも運ばれました。このことが、マルコポーロに伝えられ、「東方見聞録」となったとのこと。
ちなみに、私のふるさと、秋田県鹿角市の尾去沢鉱山は奈良時代から金が発掘され、奥州藤原家の黄金文化に大いに貢献したそうです。尾去沢鉱山の金もきっと中国に運ばれたことでしょう。
少々、本筋から脱線気味ですが、わが郷土愛から、これを言いたかった。(笑)
尾去沢鉱山の金は、奈良の東大寺の大仏や中尊寺で用いられたとする説もありますが、江戸の元禄時代に産金が枯渇すると、銅山として1978年の閉山まで約1300年続きました。
(1300年かけて掘った坑道の総延長は、約700キロ。なんと、その距離は、東京~青森、西日本でいったら東京~岡山と同じくらい)
さて、おもしろいのは、宋銭です。
宋銭はほぼ全アジアで流通し、ペルシアやアフリカ方面にも及んでいたらしい。当時の日本は、物々交換が基本で、租税の換算は絹でしていた朝廷が宋銭の流通によって絹の貨幣としての価値が低下するのを恐れ、宋銭の輸入によって儲けたい平清盛と対立することになったとのこと。
昔、学校の歴史で、平清盛と後白河法皇の対立の意味が全然わからなかったのが、今回調べて、初めてわかりました。(笑)
お金を発行できる者が、強大な力を得ることができるのは、今も昔も同じですね。
学校の歴史の授業がおもしろくない理由がよくわかります。それは、生々しい利害の対立を隠しているので、全然ピンとこないからなのでしょう。(笑)
12世紀末(日本では鎌倉幕府創設、世界ではモンゴル帝国元の初代皇帝のチンギスハン1162生)、アンコール王朝は、ジャヤーヴェルマン7世の時代に最盛期を迎え、現在のタイ東北部、ラオス、ベトナム南部に王国の領土を広げました。彼はヒンズー教ではなく、仏教を信仰し、アンコールトム(城壁都市)を始めとする一連の仏教寺院をつくりました。
その後もヒンドゥー教を信仰する王が出たり、仏教勢力との間で不安定な時代もありましたが、アンコールワットは、後のソター王によって仏教寺院に改宗され、本堂に安置されていたヒンドゥー教のヴィシェヌ神も四体の仏像に置き換えられたと言います。
シェムリアップ空港到着後、車で約30分、11時頃に入場券売場に到着。入場券は1日券37ドル(約4200円)をクレジットカードで購入。結構高い。これは外国人用料金で、もちろん現地の人たちはもっと安い。
アンコール遺跡群は、アンコール平野の東西22km、南北35km(東京23区より一回り大きい面積)の一帯にあり、アンコールワット、アンコールトム等の主要な遺跡だけでも26以上の世界でも例をみないほどの大遺跡群です。なんでも、9世紀から15世紀まで続いたクメール王朝の歴代の王たちは、世界の王のなかの王であると主張して、自らのために寺院を建てていったそうです。(ちなみに、クメール人の起源は定かではなく、紀元前にヒマラヤの辺りから来たとも言われています)
今回は、超特急の半日観光です。急ぎ足で昼食前にアンコールトム、昼食後にアンコールワットを回りました。
まずは、アンコールトム。(アンコールはサンスクリット語で「都市」、トムはクメール語で「大きい」の意味)
3キロ四方を高さ8mのラテライトの壁で囲まれた城壁都市です。ちょうど、江戸城と同じくらいの面積。
なかに王宮やテラスがあり、中心付近に四面像で有名なバイヨン(クメール語で「美しい塔」)寺院(仏教)があります。
観光ポイントへは車で移動しますが、基本、遺跡観光は歩きです。気温35℃の炎天下、汗が流れるように出てきます。暑い。また、中国人観光客が思いのほか多く、にぎやかなこと。
お昼を過ぎたので、シェムリアップに戻り、日本料理店「元気屋」で生ビール2杯と生姜焼き定食でエネルギー補充。元気屋の店長は、我々と同じ秋田県出身。(店長は能代市、同行の先輩は秋田市で私は鹿角市)
アンコールワット見物(本編その2)に続く。
本編その2では、メインイベントのアンコールワット見物のほか、アンコール王朝(9~15世紀)に繁栄をもたらした高度な土木技術、王朝の滅亡、そして、1970年代のクメールルージュ(ポルポト派)による大虐殺にも触れたいと思っています。
モリンガ飲んで今日も元気!
今日一日、明るく、朗らかに、活き活きと、勇ましく!
アンコールワット(カンボジア) |
ボロブドゥール(インドネシア) |
バガン(ミャンマー) |
ところがアンコールワットは、元々はヒンズー教の寺院として建立されました。
9世紀(日本では平安時代で藤原氏全盛、世界ではイスラム文化全盛)からクメール王朝の中心として栄えたアンコールは、12世紀前半(日本では平安時代、平清盛1118年生、世界では十字軍の第2回遠征1147年)に、スーリヤヴァルマン2世によって、ヒンズー教の寺院として30年を超える歳月を費やして建立されました。
興味のある方用 |
その時代、日本では、平清盛によって日宋貿易が盛んになったそうです。
ネットで日宋貿易の輸出入品を調べたところ、
日本の中国からの輸入品は、主に宋銭(銅銭)、香料、薬品、陶磁器、織物、絵画、書籍など。
日本から中国への輸出品は、金、銀、硫黄、水銀、真珠、工芸品(刀剣、漆器)、木材など。(※硫黄は火薬の原料、水銀は、中国の朱色の原料)
特に、金は奥州(東北地方)の金が、平泉と京都を結ぶルートで運ばれ、宋にも運ばれました。このことが、マルコポーロに伝えられ、「東方見聞録」となったとのこと。
ちなみに、私のふるさと、秋田県鹿角市の尾去沢鉱山は奈良時代から金が発掘され、奥州藤原家の黄金文化に大いに貢献したそうです。尾去沢鉱山の金もきっと中国に運ばれたことでしょう。
少々、本筋から脱線気味ですが、わが郷土愛から、これを言いたかった。(笑)
尾去沢鉱山の金は、奈良の東大寺の大仏や中尊寺で用いられたとする説もありますが、江戸の元禄時代に産金が枯渇すると、銅山として1978年の閉山まで約1300年続きました。
(1300年かけて掘った坑道の総延長は、約700キロ。なんと、その距離は、東京~青森、西日本でいったら東京~岡山と同じくらい)
マインランド尾去沢 観光坑道マップ |
マインランド尾去沢 観光坑道 |
きりたんぽ発祥の地 秋田県鹿角市の「たんぽ小町ちゃん」 |
宋銭はほぼ全アジアで流通し、ペルシアやアフリカ方面にも及んでいたらしい。当時の日本は、物々交換が基本で、租税の換算は絹でしていた朝廷が宋銭の流通によって絹の貨幣としての価値が低下するのを恐れ、宋銭の輸入によって儲けたい平清盛と対立することになったとのこと。
昔、学校の歴史で、平清盛と後白河法皇の対立の意味が全然わからなかったのが、今回調べて、初めてわかりました。(笑)
お金を発行できる者が、強大な力を得ることができるのは、今も昔も同じですね。
学校の歴史の授業がおもしろくない理由がよくわかります。それは、生々しい利害の対立を隠しているので、全然ピンとこないからなのでしょう。(笑)
宋銭 |
12世紀末(日本では鎌倉幕府創設、世界ではモンゴル帝国元の初代皇帝のチンギスハン1162生)、アンコール王朝は、ジャヤーヴェルマン7世の時代に最盛期を迎え、現在のタイ東北部、ラオス、ベトナム南部に王国の領土を広げました。彼はヒンズー教ではなく、仏教を信仰し、アンコールトム(城壁都市)を始めとする一連の仏教寺院をつくりました。
その後もヒンドゥー教を信仰する王が出たり、仏教勢力との間で不安定な時代もありましたが、アンコールワットは、後のソター王によって仏教寺院に改宗され、本堂に安置されていたヒンドゥー教のヴィシェヌ神も四体の仏像に置き換えられたと言います。
これがアンコールワットが仏教遺跡と言われる所以です。
シェムリアップ空港到着後、車で約30分、11時頃に入場券売場に到着。入場券は1日券37ドル(約4200円)をクレジットカードで購入。結構高い。これは外国人用料金で、もちろん現地の人たちはもっと安い。
入場券売場 |
アンコール遺跡群は、アンコール平野の東西22km、南北35km(東京23区より一回り大きい面積)の一帯にあり、アンコールワット、アンコールトム等の主要な遺跡だけでも26以上の世界でも例をみないほどの大遺跡群です。なんでも、9世紀から15世紀まで続いたクメール王朝の歴代の王たちは、世界の王のなかの王であると主張して、自らのために寺院を建てていったそうです。(ちなみに、クメール人の起源は定かではなく、紀元前にヒマラヤの辺りから来たとも言われています)
今回は、超特急の半日観光です。急ぎ足で昼食前にアンコールトム、昼食後にアンコールワットを回りました。
まずは、アンコールトム。(アンコールはサンスクリット語で「都市」、トムはクメール語で「大きい」の意味)
3キロ四方を高さ8mのラテライトの壁で囲まれた城壁都市です。ちょうど、江戸城と同じくらいの面積。
なかに王宮やテラスがあり、中心付近に四面像で有名なバイヨン(クメール語で「美しい塔」)寺院(仏教)があります。
アンコールトムへの門 両側の彫刻は内戦などで傷んでいる |
バイヨン寺院(仏教)への入り口 |
バイヨン寺院中心へ |
柱の彫刻 |
バイヨン寺院中心部へ |
柱の彫刻 |
バイヨン寺院寺院の中心部 |
バイヨン(四面像) |
観光ポイントへは車で移動しますが、基本、遺跡観光は歩きです。気温35℃の炎天下、汗が流れるように出てきます。暑い。また、中国人観光客が思いのほか多く、にぎやかなこと。
暑い |
水分補給(確か1ドル) |
10ドルがDISCOUNTと言ったらすぐ2ドルになったTシャツ(笑) |
お昼を過ぎたので、シェムリアップに戻り、日本料理店「元気屋」で生ビール2杯と生姜焼き定食でエネルギー補充。元気屋の店長は、我々と同じ秋田県出身。(店長は能代市、同行の先輩は秋田市で私は鹿角市)
アンコールワット見物(本編その2)に続く。
本編その2では、メインイベントのアンコールワット見物のほか、アンコール王朝(9~15世紀)に繁栄をもたらした高度な土木技術、王朝の滅亡、そして、1970年代のクメールルージュ(ポルポト派)による大虐殺にも触れたいと思っています。
モリンガ飲んで今日も元気!
今日一日、明るく、朗らかに、活き活きと、勇ましく!
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